これは5DS64話のちゃんと死んだ人間が甦る展開に対し
そういう展開が苦手な私が初見の時に頭真っ白になりかなり困惑した為、
頭を整理する為にもその展開が納得出来る様こじつけてみよう
と思い書いたものです。
(一気に書いたものなので後で付け足しやら修正やらあるかも)
まあ実際はもう私の中じゃ気持ちも落ち着いて
起きたもんはしゃあないくらいに戻れているのですが、
この先変に引きずるのも嫌だしね。一応の個人的な結論を出しとこうと思います。
思いのほか長くなったのと、どうでもいいがなって人もいるだろうので
読む場合は
↓から続きをどうぞ。
まず遊戯王以前のよくある甦り否定の理由として
「甦り展開は夢落ちと同じく今までの展開をリセットしてしまう」
「どうせ生き返るのにその死に対して真剣に感動や興奮、悲しんでしまったことに、
又そういった感情にさせたいんだろうなという制作者の意図が見えることに
気持ちが引いて(萎えて・冷めて)しまう」
「今までの真剣なキャラの心情や葛藤が茶番化する」
「死という重いものを軽く扱うと世界観まで軽くなってしまう、単純に不快感がある」
というものがありますが、これらについて考えだすと
多分シナリオやら台詞回しやらがどうだこうだという
三次元の問題になるし、5DSじゃなく全ての甦り展開についての話に
広がってた脱線し気持ちいい結論を出しづらくなると思うので、
今回はこれらを前提に置きつつも
遊戯王という作品と5DSそのものの内容から考察していきます!
★遊戯王のテーマ的な位置からみた甦り
遊戯王のテーマは「友情」「死」「愛」「自立」です。(心理の福音より)
最終回では死者蘇生を封じたことによって「死者の魂は現世に留まってはならない」
というメッセージを伝えてくれました。(イシズ姉さん談)
剛三郎の死など遊戯王では死というものを重要なものとして扱っています。
それによって遊戯王が好きな方には死を全て無かったことにする甦りということを
遊戯王シリーズでやると違和感を感じる方も多々いるかと思います。
ちなみに今までのシリーズではいくつか取り上げると
【原作】
・城之内死す!
心臓停止と判断されるもそのすぐ後に心電図に反応有り。
その後も何度か反応があってしばらくすると目覚める。
心臓停止しても何分かは大丈夫だって医龍で言ってた。なので元々死んではいない。
・バンデット・キース
近所の本屋が文庫版入荷しなくなり買えてないので(涙)今本編確認出来ませんが、
福音には"生死不明"と書いてある。また、
復活した遊戯王Rでも罰ゲームで廃人になっていたとあり、
元々ハッキリ死んではいなかった様子。
・獏良
死亡→魔導師INだけど魂を元の体に戻しただけだから甦りとは違うと思われ。
【DM】
リアルタイム視聴だったので正直記憶曖昧ですが、甦りはなかったと思います。
確か乃亜や剛三郎なんかは生きてるんじゃなくバーチャルだったはず。
【GX】
3期は死んだとみせかけてただ異次元に飛ばしてただけ。ダークネスも同じく。
大徳寺先生は早く成仏すべきだけど結局生き返りは無理だった。
カイザーは心臓の痛みで倒れて消えたけど消えたのは飛ばされたからであって
死んだという描写はない。
ってなふうに今回みたくハッキリ死者蘇生発動されたのは5DSが初です。
なのでこの展開にはそりゃあ戸惑います。
しかしこう見ると死んで生き返りましたーは無いですが、
死んだと見せかけて生きてましたー!は結構あります。
つまり今回重要となる点は「ダグナーは本当に死人だったかどうか」です。
★5DSの内容からみた考察
まず鬼柳は瀕死だったものの死んだ部分がちゃんと描写されていなくて、
生きているうちに地縛神と会話し契約していたように見えます。
ミスティの場合は搬送中ということで微妙ですが、瀕死状態でもおかしくはない。
ディマクは知らんがな。
で、あとはカーリー・ボマー・ルドガー・長官ですが、
カーリー・・・正直どう考えてもあれは死ぬだろう。
こじつけるなら普通ああやって落ちて体は形保ったまま、更に
落ちた部分はクーレターなんてなりゃしないし、不自然にデッキが空から
降って来たことも踏まえて、あれは地縛神がカーリーを落下から守ったゆえに
出来たと考える。だいぶ無理矢理だけど…
でもそう考えればカード達から霧?が出てきたことや落ちて即「うっ」って反応
してたことも納得いく・・・ような気がする。
次にルドガーですが、こいつは逆に完全に生きたまま地縛神に乗っ取られてる
ってか死んでなくね?!あれ?
ダグナーになったら死人になるの?生きててもダグナーになれるの?
そういや長官もまだ生きてるような状態からダグナー化してたし少し希望が湧いてきた
って思ったら完全に首吊り自殺してたボマーさんいたわー・・・
もうどうフォローしろと。冥界の扉に近かったから首吊りしてもすぐダグナー化して
セーフだったとか・・・う〜む
死ぬだけでダグナー化出来るなら扉の近く行く必要もないんだよね。
でもルドガーみたく生きたままダグナー化出来るなら吊る必要ないし、
死ぬ間際だと生への執念が生まれる→こうなるキッカケを作った相手を恨む・思う
ってのが必要なのかもしれない。
例えばカーリーだと死の直前ジャックのことばかり考えてましたしね。
ディマクは知らんがな。
しかし一番の問題は長官がハッキリ
死者だ冥府の者だ冥界の扉がどうだって言ってるってことなんだよなあ
ただ元に戻す方法は無い!皆無だ!とまで言っといて実際は元に戻ったのと
あの時点では長官ただの人間だったわけだから、
死者どうこうも長官の思い違いって場合も無くはない。
むしろあそこまで死者だと念を押されると死者じゃないフラグにも思える。
あとは冥界の扉に落ちた時の遊星を考慮してみた結果
結論!
結局それっぽい表現しながらハッキリ真実言わない長官が悪い。
最初の頃から伏線っぽいことごにょごにょ言いつつ真相はごまかしてたけど、
まさか最後までそのスタンス貫くとは思わんかったわー。
まあでも
"死の手前、三途の川とかの位置にいてシグナーへの
執着心にかられた時ダグナー化する"
みたく考えるのがそれっぽいと思う。
三途の川渡る寸前が死か生かなんてよく分からないし、
ダグナーは冥界の扉の向こうの住人つっても実際遊星が冥界の扉くぐったら
三途の川でしかも帰ってこれたわけだし。
これならダグナーは完全な死人ではなかった!でも通りそう。
まあやっぱしこじつけに変わりはないのだけども、
そこそこクオリティ高いこじつけに出来たか・・・ね〜?
ほら、どうせ事実分からないならこの先も楽しんで見れるようなのを
自分の中で結論付けた方が平和だし楽しいべさ。うん、私はそうする。
ということでこのブログではこれからダークシグナー編はこういう結果でした
ってスタンスで多分行きます。